雑記
2026-09-03

今年の頭あたりに公開されていたエンドフィールドのリリースPVのクオリティがものすごかったのだけど、ゲームのファン以外から絶賛されているところをあまり見かけていない気がする。いや、気づいている人はとっくに気づいていて、僕だけが乗り遅れていて僕以外の全人類が使っているSNSでは投稿日から今に至るまでずっとランキング1位を取り続けている可能性がなくもないが、ざっと「エンドフィールド リリースPV すごい」とかで検索したかぎりでは想像の1/10000くらいしかヒットしなかった。

ぎりぎりAI以前の世界で、あらゆるオタク映像の歴史に残る傑作だと思う。MVもゲームトレイラーもテレビ・劇場アニメも含めた上で最高レベルの作品のひとつなんじゃないかとひとりで思っている。ゲーム本編より目立ってもおかしくないくらいだが、ちゃんとゲームの一要素としてゲームの評価のなかに組み込まれているのはむしろあるべき姿なのかもしれない。

Arknights: Endfield Official Release Trailer: Back to Endfield

海面が盛り上がるシミュレーションのところからロッシのくるくるショットあたりがやばすぎる。自分でempireと名乗るだけある。色味なんてどこをとってもコンセプトアート。

あとキャラクターのルックも良い。フォトリアリスティック寄りのトゥーン表現で、アニメCGの目指すべき表現って本当はこういうことだったのではと思ってしまう。アニメ業界にいた頃は結局3Dって作画のための定規以上のものではないのかもとか思っていたが、こういう未来もあったのか。

2026-09-01

ブログの存在を思い出した。更新してしまえば飽きたことにならない。

2026-06-15

『キリスト教講義』という本を読んでいて良かった部分。

聖書に出てくる罪という言葉は、元のギリシア語では「ハマルティア」、的外れという意味の言葉らしい。日本語で罪というともっと重たい印象を受けるけど、本来はもう少し柔らかい。

原罪なんて言われると「人間は生まれながらにして罪を背負っている」とか重苦しく説明されるわけだけど、これももう少し柔らかい。人間は本来行くべきだった道からずれてしまうことがある、間違ったものをなぜか追い求めてしまうところがある、くらいのニュアンスとして捉えることができるらしい。

言われてみると、日本語で「犯罪者」に括られる重みってかなり強力な気がする。普通の人と犯罪者の間には明確な境界線が引かれていて、それを踏み越えるとまるで別の生き物であるかのように扱われるようなニュアンスがある。

罪が的はずれであるなら、原罪の言わんとすることって、ようはそんな境界は実は無効で、多かれ少なかれみんな同じなんだよってことなのかと思えてくる。白か黒かではなくグラデーションであって、「やっぱり外れてしまう人もいますが、外れてしまったら戻りましょう」みたいな。そういう手触りのある言葉なのかもと思った。

2026-06-14

ObsidianのフォルダをそのままブログにするボタンをAIに作ってもらった。Obsidianなのでスマホからでも編集できて便利な気がする。

ブログは前にHugoを使って手作りしていたことがあるが、今回はAstro製にした。自分で直接触らないならもはやなんでもよく、AIに言われるがままに選んだ。

2026-06-14

あ