『キリスト教講義』という本を読んでいて良かった部分。
聖書に出てくる罪という言葉は、元のギリシア語では「ハマルティア」、的外れという意味の言葉らしい。日本語で罪というともっと重たい印象を受けるけど、本来はもう少し柔らかい。
原罪なんて言われると「人間は生まれながらにして罪を背負っている」とか重苦しく説明されるわけだけど、これももう少し柔らかい。人間は本来行くべきだった道からずれてしまうことがある、間違ったものをなぜか追い求めてしまうところがある、くらいのニュアンスとして捉えることができるらしい。
言われてみると、日本語で「犯罪者」に括られる重みってかなり強力な気がする。普通の人と犯罪者の間には明確な境界線が引かれていて、それを踏み越えるとまるで別の生き物であるかのように扱われるようなニュアンスがある。
罪が的はずれであるなら、原罪の言わんとすることって、ようはそんな境界は実は無効で、多かれ少なかれみんな同じなんだよってことなのかと思えてくる。白か黒かではなくグラデーションであって、「やっぱり外れてしまう人もいますが、外れてしまったら戻りましょう」みたいな。そういう手触りのある言葉なのかもと思った。